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寝ても許してほしい。

今年度は頑張ろうと思っていたのに。学校に行けなかった。楽しいはずなのに。どうしても起き上がれない。しんどい。しんどいからといって頭を横にしたままだともっとよくなくて、頭が痛くなってくる。そして暇だから動画を見続ける。そうして無駄に時間が過ぎて行く。

 

何をやっても程よくいかない。

しんどい。しんどい。しんどい。

 

だけどしんどいって言う姿を大事な人たちに見せて心配かけたくないから、ちょっと頑張って18:00前のガラガラの千代田線上り電車に乗り込む。

ガラガラのうちに5分で適当にメイクを済ませる。これでマスクして心配させないで済む。

歯を磨いてないけどペペロンチーノを食べたのでガムを噛む。

歌詞のない音楽ということで坂本龍一を好きでもないのに流す。

 

でも罪悪感は減ってきた。これでも。本気で精神科に一度かかろうかと考えている。無茶をしてもメンタルが崩れない薬がほしい。

 

 

月夜

オールシーズン使えるの少し分厚い掛け布団をかけて、網戸から入るひんやりとした5月の夜の風にあたる。

隣に聞こえる寝息と触れている場所に温かみを感じる。 

眠れないけれど快い、紺色の季節。

シューマンの『詩人は語る』を頭の中で奏でながらなんとなく泣きたいような気持ちになる。

本当に自分の気持ちがわからない。喜怒哀楽のどれでもないのか、分かりたくないのか。

恋の季節は終わった。愛の季節は終わった。それでもしあわせを感じる五月下旬。

まだかなまだかなと20年前に母は思っていた。もうすぐ生まれるかなと私は思われていた。ハナミズキの季節に、夜を照らす月の中で生まれる子どもを待ち望んだ。

私は生きていてもいいのかもしれない。

生きているのかもしれない。もしかすると私は生きているのかもしれない。もし生きていなくても、今だけ生きていたことにしようと思う。

 

セルゲイポルーニン

胸が痛い。悲痛。そんな映画だった。

心に侵食されるような感覚。そして鳥肌が止まらない。

 

重圧という言葉では示せない困難状況。

自分の効力感の有無に惑わされる姿。

それでも上書きしかできない、やり直しのきかない人間の生きる一方向性。

 

深み豊かさという言葉の意味する複雑さは人間に悦びをもたらす完璧さとは繋がらない点と点のような存在にぶつかりゆく姿。極めることと生きること。そんな姿。折りあわせをつけようとするときに流れたTake me to church。

決して勇気はもらえない。ただドラマである。現代のドラマである。そのことに愛おしさを感じる。芸大生にこれだけの原動力を持ったドラマを生む力を持った人はいるだろうか。使命感なんてないのではないだろうか。

若者を引きつけるだけの強烈な理由がドラマを生んでもいいのではないだろうか。

 

目標

毎日怠惰だなあと思う。

金をもらって学ぶために上京した身で散らかった部屋で寝てばかり。

だけどこれといってしたいこともするべきこともない。

できなくたって生きていける。

 

目標立てようと思った。

気付いた。

何にもなかった。

本当になかった。

切実に実現したいことなんてなかった。

 

楽に生きるってなんですか

自由に苦しみ束縛に苦しみ正義に苦しみ

みんなどうやって生きてるんですか

正しさのせいですか

苦しい

このじんわりした温かい気持ちが、愛。

 

私だって愛することも愛されることもできる。

愛してもいい。愛されてもいい。。。

続 クラシック音楽

でもね、でもね、でもね。

確かめたいの。

歴史をみつめて過去をみつめて私という存在を。

だから私は音楽学の沼に足を滑らせたの。

昔に想いを馳せて、絶対的に美しい過去を脳裏に浮かべて。本当にロマンチックでワクワクしちゃうの。

 

私は私を思う通りに全然動かせていない。多重人格とでも言われるかな。

恋と同じ。大嫌いなはずなのに恋しちゃったの。私って愚かでしょ。

クラシック音楽

和声のレッスンを終えて帰宅しています。

情熱的な先生で、音楽業界に強い危機感を持った方。日本の未来にも。

 

私はここ半年以上クラシック音楽から距離をとっていて、そのことを明言している。音楽を専攻する学生で、クラシック音楽を重んじる大学にいながら。特に民族音楽にはまってしまったわけでもなく。

クラシック音楽を取り巻く環境が嫌い。クラシック音楽を奏でる人間が嫌い。

音楽は好きです。生活の一部で私の一部です。私はクラシック音楽で育ちました。それなのにクラシック音楽と接したくないと思ってしまったから、ずっとずっと私の音楽は何だろうって考えています。でも、悔しいことにそれはクラシック音楽西洋音楽に他ならないことに気づきます。

何が嫌いって

ハイカルチャーぶってるところ

・死んだ音楽であること、伝統音楽であること

・子どもが初めて出会う音楽がクラシック音楽の枠に縛られてしまうこと

・それによって消費する音楽ではなく聴く音楽を考えることとクラシック音楽文化の発展が混同されがちなこと

まあ言い出すときりがないんですけど。

かといってロックとかポップスが好きなわけでもなく・・・推したいと思わない。

 

で、私がしたいこと、それは音楽教育を変えること。具体的には音楽教育で作曲界を変えること。私の音楽を見つけてほしい。あなたの音楽を見つけてほしい。あなたに音楽を紡いでほしい。あなたの美しいを見つけてほしい。自己表現の一つとして身につけてほしい。愛おしい音楽を見つけてほしい。

 

そういうところで先生とは意気投合する。